クロックス(ガーデニングシューズ)に短パンにキャップで、ぶら下げているギターは私物ではなく、お店に常備してあるもの。
俺が初めて観た時のHatemanのギターボーカリスト、ジュンがライブをしている時の出で立ちがそれだった。
まぁ、それが下北沢の「ぷあかう」でよく催している弾き語りライブだから、色んな意味でキメキメなのも見る側としては興醒めする感はあるから、ラフな感じで良いと思うのだが、その時のジュンのライブはラフって言うよりかグダついていて、俺のその時の印象は「まだ若いね。」って思った。
後に仲良くなってから、とんでもなく突き飛んでいる若僧だと気付かされるのはもうちょっと先の話である。
第一印象ってのは強く残るもので、それからラングスティーンのイベントで今度は3ピースのバンド編成で拝見したのだが、「うん。悪くないね。」、端的に言うと良くも悪くもなく±0って感じだった。俺が感じた2回目の印象は。
その頃から小川Gとは確か仲良くしてたと思う。それがきっかけでHatemanもコークストリビュートに参加してもらうことになった。その時は俺がHatemanのライブを最後に観てから半年以上は経っていたな。
年が明け、Hatemanの「LOVE TOO LATE」が出来上がりぷあかうで試聴する際、第1印象のジュンの残像は俺の中で拭い去れてはいなかった。だから期待ってものは持たずに耳に入れてみた。
しかし、そのイントロがぷあかうで鳴り響いた瞬間、俺の気をそれが惹いた。俺は素直にそれを受け入れ、そっから曲に集中した。
そしてその曲のフルコーラスを聴き終えて、背筋がゾクゾクって興奮の電気が走っていたのは俺は忘れもしない。
全くもって俺が抱くhatemanという若者に対する偏見を超越したのである。
分厚い俺の第1印象をブチ破られた瞬間でもあったのだ。
カバー曲の理想を大きく2つに分けると、オリジナルに忠実なもの。オリジナルを飛び越えて自分のものにしているもの。
Hatemanの「LOVE TOO LATE」は俺の持つ印象の中では後者で、その枠でくくった世にある数々のカバーソングの中でもかなり興奮させられたものだった。
それはセンスという彼らの同世代の者がほとんど持ち得ていないロックンロールライセンスを取得した者だけの捌き。
「凄いLOVE TOO LATEだ!!」俺は興奮しすぎて、いつも会釈程度しかしないHatemanのジュンとツバサにその感動を伝えた。
俺のHatemanに対する偏見が払拭されてから、初めて観ることが出来るライブがその年の5月、高円寺のペンギンハウスであった。
これを切っ掛けに、自分が人間を見抜く眼力がどれほど浅はかであった事かを思い知らされるのである。
彼らのステージをかなり真近で観ていた。
眼が怖い。同じ世代のロック好きの若者はこんな眼差しをするのか?こんな唾が飛ぶのか?こんな汗を浴びているのか?こんな魂を飛ばすのか?こんな憎悪を熱で現すのか?こんなビートを燃やしているのか?こんなメロディが酸っぱくなるのか?スモールフェイセスの「MY MIND'S EYE」を歌い上げるのか?
目の前にいる3人は最早俺にとって特別な存在になっていた。完全に此の一夜にして彼らの才能に惚れた。
肉の眼を客席に飛ばしているギターボーカルのジュンの足元には、気が付くと最前列の客が酔っ払って吐き垂れたゲロが在る。それに狼狽することなくそれを歌いながら踏む!踏む!踏む!
それはまるで同世代が好む通俗的な言葉、文学、映画、音楽を偶像化した踏絵。それを踏み砕く!やり切れぬ憎悪のポップビートで!踏み砕く!踏み砕く!
彼らのステージが終わる頃、あることに気づいた。彼らのポップサウンドは、若者たちが群れ集う場所に対しての毒だ。決して青春謳歌ではない。
「やっとそんな平成生まれが現れてくれたか。」最近彼等と飲みの場で接するたび、嬉しさと怖さを噛みしめている。
#15「IT'S TONITE」by Rangsteenに続く。
スポンサーサイト